「洋食」と聞くと、ハンバーグやオムライス、カレーライスなど、子どもから大人まで大好きなメニューが思い浮かびますよね。これらの料理は、どこか懐かしく、私たちの食生活に深く根付いています。ところで、「洋食」とひとくくりにされがちなこれらの料理、もともとはどこの国の料理だと思いますか?実は、その多くは日本で生まれた、日本独自の食文化なのです。
この記事では、「洋食はどこの国の料理?」という疑問にお答えするとともに、洋食の定義や歴史、そしておなじみの人気メニューがどのようにして日本で誕生したのかを、やさしくわかりやすく解説していきます。この記事を読めば、普段何気なく食べている洋食が、より一層おいしく、そして興味深く感じられるはずです。
洋食はどこの国の料理?その答えは「日本」です!

「洋食」と聞くと、欧米の料理をイメージする方が多いかもしれません。しかし、私たちが普段「洋食」として親しんでいるメニューの多くは、西洋料理をベースに、日本の食文化や日本人の味覚に合わせて独自に発展した日本発祥の料理なのです。
ここでは、洋食の定義や西洋料理との違い、そしてなぜ日本発祥なのに「洋食」と呼ばれるのか、その歴史的背景を紐解いていきましょう。
洋食の定義とは?西洋料理との違い
- 西洋料理:ヨーロッパやアメリカなど、西洋諸国の伝統的な料理そのものを指します。 フランス料理やイタリア料理などがこれにあたります。
- 洋食:西洋料理を元にしながらも、日本の食材や調味料を使ったり、ご飯に合うように味付けを工夫したりして、日本で独自に進化した料理を指します。
例えば、フランス料理の「コートレット(côtelette)」が、日本では豚肉を使い、たっぷりの油で揚げてご飯と味噌汁と共に提供される「とんかつ」になったのが、その代表例です。 このように、西洋の食文化を日本の食生活に取り入れ、昇華させたものが「洋食」なのです。
なぜ日本発祥なのに「洋食」と呼ぶの?
日本で生まれたにもかかわらず「洋食」と呼ばれるのは、そのルーツが西洋にあるからです。明治時代、日本に西洋の文化が急速に入ってきました。 それまで肉食の習慣がほとんどなかった日本人にとって、牛肉や豚肉を主体とする西洋の料理は目新しく、特別なものでした。
当初、西洋料理は外国人や一部の富裕層だけが口にできる高級料理でした。 しかし、日本の料理人たちは、それらの料理を庶民にもっと気軽に楽しんでもらいたいと考え、様々な工夫を凝らします。手に入りにくい食材を日本の食材で代用したり、日本人の口に合うように味付けを変えたり、そして何より主食であるご飯に合うおかずとしてアレンジしていきました。
このようにして生まれた、和食とは異なる「西洋風の料理」を、従来の日本の食事(和食)と区別するために「洋食」と呼ぶようになったのです。
洋食が生まれた歴史的背景
洋食の誕生には、明治時代の文明開化が深く関わっています。
1871年(明治4年)、約1200年続いた肉食禁止令が解かれ、明治天皇が牛肉を食べたことが報じられると、庶民の間でも牛鍋などが食べられるようになりました。 政府も国民の体格向上のために肉食を奨励したこともあり、肉食文化は少しずつ日本に浸透していきます。
その後、横浜や東京などにも西洋料理店が次々とオープンし、そこで働いていた日本の料理人たちが、西洋料理の技術を学びました。 彼らが独立して自分の店を開く際に、高価な西洋料理をそのまま提供するのではなく、より手頃で日本人の口に合う「洋食」を考案し、提供し始めたのです。
こうして洋食は、一部の上流階級のものであった西洋料理を、庶民の日常の食事へとつなぐ架け橋となり、日本の食文化に深く根付いていきました。
代表的な洋食メニューのルーツをたどる旅

私たちが愛してやまない洋食メニューたち。その一つひとつに、西洋料理との出会いと、日本の料理人たちの創意工夫の物語が隠されています。ここでは、代表的な洋食メニューのルーツをたどり、その誕生秘話に迫ります。
【とんかつ】イギリスの「カツレツ」が原型
今や日本の国民食ともいえる「とんかつ」。そのルーツは、フランス料理の「コートレット」にあります。 コートレットは、仔牛肉などを薄く叩き、ソテーした料理です。これがイギリスに渡り、パン粉をつけて揚げ焼きにする「カツレツ」へと変化しました。
日本で「ポークカツレツ」として初めて提供したのは、1899年(明治32年)、東京・銀座の洋食店「煉瓦亭」だと言われています。 当時のカツレツは、薄切りの肉をソテーに近い形で調理するものでした。しかし、煉瓦亭は、より厚切りの豚肉を、天ぷらのようにたっぷりの油で揚げる「ディープフライ」という調理法を考案します。 これにより、外はサクサク、中はジューシーな、現在のとんかつのスタイルが確立されました。
さらに、付け合わせの温野菜をキャベツの千切りに変え、ご飯と味噌汁をセットにした定食スタイルも煉瓦亭が始めたとされています。 まさに、西洋料理が日本の食文化と融合し、「洋食」として完成した瞬間でした。
| 料理名 | 元になった料理 | 発祥のお店(説) | 特徴 |
|---|---|---|---|
| とんかつ | コートレット(フランス)→カツレツ(イギリス) | 煉瓦亭(銀座)、ポンチ軒(上野)など | 厚切りの豚肉をディープフライ。キャベツの千切りとご飯、味噌汁が添えられる。 |
【カレーライス】インドからイギリス経由で日本へ
カレーライスもまた、日本を代表する洋食の一つです。その起源はインド料理のカレーにありますが、直接インドから伝わったわけではありません。インドを植民地としていたイギリスが、本国に持ち帰り、小麦粉でとろみをつけたシチューのようなスタイルにアレンジしました。 これが日本のカレーの原型です。
日本にカレーが伝わったのは明治時代。 当初は高級な料理でしたが、旧日本海軍がイギリス海軍の食事を参考に、栄養バランスの良いメニューとしてカレーを採用したことで、全国に広まるきっかけとなりました。
その後、1923年(大正12年)にエスビー食品の創業者である山崎峯次郎が国産初のカレー粉の製造に成功。 家庭でも手軽にカレーが作れるようになり、各家庭でじゃがいも、人参、玉ねぎといったおなじみの具材が加えられるなど、日本独自の進化を遂げて国民食としての地位を確立していきました。
【オムライス】日本の洋食店で生まれた独創的な一皿
ふわふわの卵とケチャップライスの組み合わせが絶妙な「オムライス」。その名前からフランス料理の「オムレツ」を連想させますが、オムライスは紛れもなく日本で生まれた洋食です。
オムライスの発祥には諸説ありますが、有名なのが大阪の「北極星」と東京・銀座の「煉瓦亭」です。
- 大阪「北極星」説:1925年(大正14年)、胃の弱い常連客がいつもオムレツと白ご飯を食べていたのを見かねた創業者の北橋茂男さんが、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだ特製料理を提供したのが始まりとされています。 「オムレツとライスを合わせてオムライス」と、その場で名付けられたそうです。
- 東京「煉瓦亭」説:1900年(明治33年)、忙しい厨房で働く料理人たちのまかない料理として、卵とご飯を混ぜて焼いた「ライスオムレツ」が誕生しました。 これが客の目にとまり、メニューとして提供されるようになり、現在の卵でライスを包む「オムライス」へと進化したと言われています。
どちらの説も、お客様や働く人への思いやりから生まれた、心温まるエピソードですね。
【コロッケ】フランスの「クロケット」が日本の家庭料理に
サクサクの衣とホクホクのじゃがいもが美味しい「コロッケ」。そのルーツは、フランス料理の「クロケット(croquette)」です。 フランスのクロケットは、ベシャメルソース(ホワイトソース)にひき肉などを混ぜた、いわゆるクリームコロッケが主流です。
日本では、このクロケットを元に、当時手に入りやすかったじゃがいもを主材料としてアレンジした「ポテトコロッケ」が誕生しました。 明治時代の料理本にはすでにポテトコロッケのレシピが紹介されており、洋食の早い段階から存在していたことがわかります。
手頃な価格でボリュームがあり、ご飯のおかずにもおやつにもなるコロッケは、大正時代以降、肉屋の惣菜として販売されるようになり、日本の家庭料理の定番として広く親しまれるようになりました。
| 国 | 元になった料理 | 特徴 |
|---|---|---|
| フランス | クロケット | ベシャメルソースがベースのクリームコロッケが主流 |
| 日本 | コロッケ | じゃがいもを主材料としたポテトコロッケが一般的 |
【エビフライ】天ぷらとカツレツの技法を応用した日本の発明
大きくてプリプリのエビを揚げた「エビフライ」は、子どもから大人まで大好きなごちそうメニューです。このエビフライも、西洋料理にヒントを得て日本で考案された、独創的な洋食です。
エビフライの発祥についても諸説ありますが、とんかつと同じく、東京・銀座の「煉瓦亭」で1900年(明治33年)頃に誕生したという説が有力です。 人気メニューだった豚カツやメンチカツに続く新しいフライ料理として、様々な食材を試す中でエビフライが考案されたと言われています。
また、西洋料理の魚のフライと、日本の伝統的な料理である「天ぷら」の技術が結びついて生まれたという説もあります。 まさに、和と洋の調理法が融合して生まれた、ハイブリッドな一品と言えるでしょう。
【ナポリタン】戦後アメリカから伝わったスパゲッティの進化形
ケチャップの甘酸っぱい香りが食欲をそそる「ナポリタン」。イタリアのナポリが名前の由来ですが、実はイタリアにはナポリタンという料理は存在しません。 ナポリタンは、戦後の日本で生まれた、日本独自のスパゲッティ料理なのです。
ナポリタンの発祥地として知られているのが、横浜の「ホテルニューグランド」です。 第二次世界大戦後、ホテルはGHQ(連合国軍総司令部)に接収され、進駐軍の兵士たちが滞在していました。彼らがスパゲッティにケチャップをかけて食べていたのを見た当時の総料理長・入江茂忠氏が、これをヒントに、より美味しく洗練された料理として考案したのが始まりと言われています。
当初はトマトソースを使ったものでしたが、その後、横浜の「センターグリル」などがケチャップ味のナポリタンを提供し始め、喫茶店メニューの定番として全国に広まっていきました。
日本の食文化に根付いた洋食の歴史

西洋料理との出会いから生まれた洋食は、日本の社会や食生活の変化とともに、その姿を変えながら深く浸透していきました。ここでは、洋食が日本の食文化として確立されるまでの歴史的な道のりを振り返ります。
文明開化と肉食の解禁
洋食の普及を語る上で欠かせないのが、明治時代の文明開化です。 1871年(明治4年)に肉食が解禁されると、西洋文化への憧れとともに、牛肉や豚肉を使った料理が少しずつ食べられるようになりました。
しかし、長年肉食をタブーとしてきた日本人にとって、その抵抗感は根強いものがありました。 そこで、すき焼きの前身である「牛鍋」のように、醤油や砂糖を使った甘辛い味付けにするなど、日本人が親しみやすい形で肉料理が広まっていったのです。
こうした流れの中で、西洋料理をベースにした「洋食」もまた、日本人の味覚に合うようにアレンジが加えられ、徐々に受け入れられていきました。
ホテルや西洋料理店での誕生
日本における洋食の歴史は、長崎や横浜、東京などのホテルや西洋料理店から始まりました。 1863年(文久3年)に長崎で開業した「良林亭」が日本初の西洋料理店とされています。
当初、これらの店は日本在住の外国人や、政府の高官など、ごく一部の人々が利用する特別な場所でした。 そこで腕を磨いた日本の料理人たちが、のちに独立し、自分たちの店で「洋食」を生み出していきます。
これらの老舗洋食店は、西洋の食文化を日本に紹介する窓口であると同時に、日本の食文化と融合させた新たな料理を創造する laboratorio(実験室)でもあったのです。
家庭料理としての普及と進化
レストランで生まれた洋食が、日本の家庭に広く普及する大きなきっかけとなったのは、大正デモクラシーと呼ばれる、社会がより自由で大衆的な文化を享受するようになった時代背景があります。
雑誌などのメディアで洋食のレシピが紹介されるようになり、また、カレー粉やソースといった洋食に欠かせない調味料が国産化され、手軽に入手できるようになったことも普及を後押ししました。
さらに、都市部では「洋食屋」と呼ばれる大衆向けの食堂が増え、サラリーマンや学生たちが気軽に洋食を楽しめるようになりました。 そして、肉屋の店頭でコロッケやメンチカツが揚げられ、惣菜として販売されるようになると、洋食はレストランで食べる特別な料理から、日々の食卓に並ぶ家庭の味へと変わっていったのです。
戦後は、学校給食にカレーやクリームシチューが登場したことも、子どもたちが洋食に親しむ大きなきっかけとなりました。 こうして洋食は、世代を超えて愛される日本の家庭料理として、確固たる地位を築いていきました。
現代に受け継がれる洋食の魅力
明治時代に生まれ、大正、昭和を経て、日本の食卓にすっかり定着した洋食。時代が変わっても色あせることのない、その魅力とは何でしょうか。現代における洋食の姿と、その未来について考えてみましょう。
世代を超えて愛される懐かしの味
洋食の大きな魅力の一つは、そのどこか懐かしい味わいにあるのではないでしょうか。ケチャップの甘酸っぱいオムライス、デミグラスソースのコク深いハンバーグ、サクサク衣のコロッケ。これらの味は、多くの方にとって、子どもの頃の楽しい食卓の記憶と結びついているはずです。
洋食は、高級なフランス料理やイタリア料理のような非日常的な「ハレ」の食事ではなく、日々の暮らしに寄り添う「ケ」の食事として日本人に愛されてきました。だからこそ、老舗の洋食店で食べる一皿には、単なる美味しさだけでなく、安心感や温もりを感じることができるのです。
家族で囲む食卓、友人と訪れた喫茶店、学生時代に通った定食屋。様々な思い出のシーンとともに、洋食の味は私たちの心に刻まれています。
ご当地洋食という新たな食文化
日本各地で独自の進化を遂げた「ご当地洋食」の存在も、現代の洋食文化を豊かにしています。その土地ならではの食材を使ったり、地域独特の食文化と融合したりすることで、個性あふれるメニューが生まれています。
エスカロップ(北海道根室市):バターライスまたはケチャップライスの上に、とんかつを乗せ、デミグラスソースをかけた料理。
*ボルガライス(福井県越前市):オムライスの上にとんかつを乗せ、ソースをかけた料理。
これらのご当地洋食は、地域の食文化を盛り上げる観光資源としても注目されています。旅先でその土地ならではの洋食を味わうのも、旅の楽しみの一つと言えるでしょう。B級グルメの祭典などで全国的に知られるようになったメニューも多く、洋食文化の裾野の広がりを感じさせます。
進化し続ける洋食の世界
伝統の味を守り続ける老舗がある一方で、現代の食のトレンドを取り入れ、進化し続ける洋食の世界も広がっています。
例えば、オムライスでは、ナイフを入れると半熟の卵がとろりと広がる「タンポポオムライス」がSNSなどで人気を博しています。 また、有名シェフが手がける高級洋食店では、厳選された食材と洗練された技術で、従来の洋食のイメージを覆すような新しい一皿が創造されています。
さらに、健康志向の高まりを受け、野菜をたっぷり使った洋食や、カロリーを抑えた調理法を取り入れたメニューも増えています。
このように、洋食は古き良き伝統を守りながらも、常に新しい時代のニーズに合わせて変化し、進化を続けています。これからも、私たちの食生活を豊かに彩ってくれる存在であり続けることでしょう。
まとめ:洋食はどこの国の料理か、その答えと魅力の再発見

この記事では、「洋食はどこの国の料理?」という疑問を入り口に、その歴史や代表的なメニューのルーツ、そして現代における魅力について掘り下げてきました。
洋食は、西洋料理を起源としながらも、日本の風土と日本人の知恵によって育まれた、まぎれもない日本の食文化です。 明治時代の文明開化を背景に生まれ、料理人たちの創意工夫によって、ご飯に合うおかずとして独自の進化を遂げました。とんかつ、カレーライス、オムライスといったおなじみのメニューは、すべて日本で誕生したものです。
単に西洋料理を模倣するのではなく、日本の主食である「米」に合わせ、日本人の味覚に寄り添う形で発展してきたからこそ、洋食は100年以上にわたって私たちに愛され続けているのです。
この記事を通して、普段何気なく食べている洋食の奥深さを再発見していただけたなら幸いです。次に洋食を食べる機会があれば、その一皿に込められた歴史の物語に、少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。



コメント